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大阪高等裁判所 昭和62年(う)1218号 判決 1988年3月24日

本店所在地

大阪府大東市寺川一丁目一番一号

アサヒ産業株式会社

(右代表者代表取締役 中村秋造)

本籍

大阪府大東市寺川五丁目四一五番地

住居

同市寺川五丁目四番一一号

会社役員

中村秋造

昭和二年一〇月三日生

右の者らに対する各法人法違反被告事件について、昭和六二年九月二九日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、各被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 酒井清夫 出席

主文

原判決中被告人アサヒ産業株式会社に関する部分を破棄する。

被告人アサヒ産業株式会社を罰金一六〇〇万円に処する。

被告人中村秋造の本件控訴を破棄する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人香川文雄作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官酒井清夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決の量刑不当を主張し、特に被告人アサヒ産業株式会社(以下被告会社と略称する。)に対し検察官の求刑意見どおり罰金二〇〇〇万円を科したのは酷に過ぎる、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、本件は、大阪府大東市内に本店を置き、精密機械器具部品の製造及び加工並びに製缶・製箱等を目的とする被告会社(資本金一〇〇〇万円)の代表取締役である被告人中村秋造が、同会社の業務に関し、同会社の法人税を免れようと企て、架空の労務費、外注費を計上するなどして所得を秘匿し、昭和五七年度から同五九年度の三期にわたり、合計約六三七〇万円の法人税を逋脱したという事案であるが、右犯行の罪質、動機、態様、脱税の手口、期間、脱税額とその所得金額に対する割合等の諸事情、殊に、その脱税額が多額であるうえに、逋脱率が平均約九八パーセントと極めて高率であること、本件犯行が申告納税制度を悪用したものであり、かつ、当初は将来不況になった場合に備え資金の蓄積を図るのが目的であったが、事業の急成長により多額の利益が計上されるようになってからはその目的から離れ、被告人中村秋造において、自己居宅の増改築及び娘婿居宅の新築費用あるいは貴金属等の購入資金等の個人的用途に費消する状況であることなどに徴すること、その刑事責任は軽視できないから、被告会社において本件発覚後直ちに修正申告をし、本件逋脱額のみならずこれに伴う延滞税、加算税及び住民税等合計約一億四〇〇〇万円を納付していることなどを勘案しても、原判決中、被告人中村秋造を懲役一年、年間刑執行猶予に処した部分は止むを得ないところであり、不当にその量刑が重いものとは認められない。しかし、被告会社に対する量刑は、前示の酌むべき点や当初の動機・目的、更には現在既に会社経営が退潮期に入り多額の罰金負担に堪え難くなっていること、などに照らすとその罰金額が多額に過ぎ酷に失するものと考えられる。論旨は被告会社に関する部分についてのみ理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決中被告会社に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決することとし、同会社について原判決が認定した罪となるべき事実にその挙示する各法条を適用して、被告会社を罰金一六〇〇万円に処し、また、刑事訴訟法三九六条により、被告人中村秋造の控訴を破棄することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田登良夫 裁判官 角谷三千夫 裁判官 白川清吉)

○控訴趣意書

法人税法違反

被告人 アサヒ産業株式会社

中村秋造

右被告事件につき、大阪地方裁判所の言渡した判決に対し、被告人らから申立てた控訴の理由は左記のとおりである。

昭和六二年一二月二一日

被告人ら

弁護人 弁護士 香川文雄

大阪高等裁判所

第四刑事部 御中

第一、控訴申立ての趣旨

原判決における罪となるべき事実の趣旨は、

「被告法人の業務に関し、法人税を免れようと企て、

一、昭和五七年九月一日から五八年八月三一日までの事業年度において、……内容虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、不正の行為により法人税一六、六一四、六〇〇円を免れ、

二、昭和五八年九月一日から同五九年八月三一日までの事業年度において、……不正行為により法人税三三、七一四、三〇〇円を免れ、

三、昭和五九年九月一日から昭和六〇年八月三一日までの事業年度において、……不正の行為により法人税一三、三八〇、五〇〇円を免れたものである。」

との事実を認定の上、被告法人を罰金二万円に、被告人中村を懲役一年、執行猶予三年間との判決を言い渡した。

特に被告法人に対しては特段の悪質性もないのに、検察官の求刑どおりの判決という、極めて異例とも言うべき苛酷な高額の罰金刑の言い渡しであり量刑著しく重きに失し、不当であるから、到底破棄を免れないものと思料する。

第二、控訴申立の理由

一、原判決の量刑についての情状の要趣

1、脱税額は三期合計で六、三七〇万余円、ほ脱率も九七%でありよろしくない。

2、長続きしない一時的な企業収益の保全と、下請単価の切り下をさけるためという経営者の心理は理解できなくもないが、法治国家である以上法律はまもってもらわないかん。

3、発覚後は反省して重加算税など法人税なども全部おさめ、個人財産で精算し、今後の態度も改めている。

4、税法上問題がないではないが、それぞれ言い分があるが基本的に法治国家であり、法律は守ってもらわないといけない。

というのである。

しかし、右説示では、刑事判決において異例ともいえる、求刑どおりの罰金刑言渡を納得させるものではない。

検察官その人も、求刑通り罰金二千万円の判決言渡しは、内心驚いたのではなかろうか。

二、本件は査察事件としては、基準ぎりぎりの事件である。いっときの夢の如きつかの間の好況時における脱税で、方法も稚拙であり、査察時には既に企業規模も半減しており、赤字含みで脱税の資金を一部あてるという状態であった。

高飛車で強引な査察に対しても、忸怩たる思いから、経費の認否なども争わず、法人税も計九八、四五二、八〇〇円を納付し、地方税を含めた約一億四千万円は、個人不動産を処分してこれに充てた。

特に基準を高率化したといわれる求刑に対し、これと同額という罰金刑を言渡たす特段の悪質性は全くない。恭順の意を表する被告法人らに対し、言わば死者に鞭うつ、苛酷非常な判決と思われる。

三、租税は、国家(本件は国税に関するので国税について述べる)が無償で国民に財産の拠出を命じ、応じなければ税法自体、徴税機関自体の力によって強制的に財産を徴収できるという国家権力の行使の典型的なものであり、しかも国民が平穏な活動で利益を得ただけで課せられるものである。

従って、租税につき、これを密接不可分の関係に立つ租税検察を含め、公正、公平であることが特に強く要請されるものであり、そのためには、その権力、権限が強大であることに比例して、考慮すべき事情も諸般にわたり広く考察せらるべきである。

右考察の範囲として、行政或は検察権行使の運用の実体、国民の対応状況、租税の徴収と裏腹の関係にある税金の使い方、納税者の監視可能程度の実態など具体的事情のもとで、いかなる刑を課すのが正義か考察すべきである。

裁判官個人の正義感のみを基準とすることなく、社会通念に従い、集積された量刑慣行を尊重し、権衡のある量刑をすべきであると考へる。

第三、脱税犯に対する税制と量刑の推移

一、税制の推移(申告納税制度の導入と罰則強化)。

戦前、法人税等直接税は賦課課税制度であって、納税者はその所得金額等を一応申告するが、直ちに納税義務が発生することなく、税務当局の賦課処分によって納税義務が発生確定する仕組であり、脱税の罰則は罰金刑のみであった。

脱税は欺罔行為により国の徴税権を犯すものであるけれども詐欺罪とは異るとの理論構成は確定的なものである。

ところが戦後、アメリカ占領軍の要請とインフレ対策上、昭和二二年の改正で申告納税制度に切替わり、罰則にも自由刑が導入された。

我国は、国民の納税意識、法規範に対する国民の意識、納税者の税金使途監視可能性の程度など、罰則との均衡上深く配慮すべき諸々の背景事実に於て、アメリカに比し格段に劣っているのに、これら背景事情を無視して罰則についてのみ、アメリカに比肩する厳罰規定となった。

二、量刑の推移。

1、従前の判決における量刑。

従前の判決において、脱税犯に対する量刑は厳に失することなく、適性かつ妥当であった。

これは、納税が国家財政を支える柱であることは、戦前戦後をとわず同一であるが、昭和二二年の法改正までは脱税犯に対する法定刑は罰金刑のみであったこと、申告納税制度に変えたのはインフレ下で、国家が早く徴税権の行使をすることができるようにするためであったに過ぎないこと、検挙起訴されるものは脱税者のごく一握りにすぎず、起訴された者だけを厳刑に処するのは反って公平を欠く等の配慮があったからと推量する。

2、厳刑判決の出現。

ⅰ 最近における厳刑判決は、東京地方裁判所昭和五五年三月一〇日法人税法違反事件判決で、実刑を課するなどの厳刑を嚆矢とする。

右判決によると、ほ税率も高く額が多いほか、証拠湮滅工作を行った、保釈後態度を変え不当な否認をしたなど裁判所の心証を悪くした特別の事情があるが、問題は、同判決が脱税事犯に厳刑を課すのを相当とした理論的根拠である。

イ、悪質な事犯に執行猶予を付すことは犯罪と刑罰に対する一般社会の正義観念が損われ、法の尊厳性を危くさせる。

ロ、申告納税制度は納税者の良心と良識を尊重して採用された。

ハ、申告納税制度は、納税者の自主性を重んじる制度で租税法秩序の基礎である。脱税犯はその根幹を破壊する。

ニ、申告納税制度は、他の納税者の犠牲において不当に利得することを許さず、脱税者は社会一般から強い非難を受ける一方、納税者は主権者として、使途を監視することができるもので、これが民主主義社会では、「脱税は最悪の犯罪」といわれる所以である。

ⅱ 判決の厳刑理由の中心は、申告納税制度を重大かつ神聖視しているのが大きい特色であり、その背後には、租税制度全般において徴税者側、納税者側それぞれ我国と全く事情の異るアメリカ法的思考がうかがわれ、右判決に同調するその後の厳刑判決はいづれも右理論を根拠としているようである。

第四、厳刑判決の不当性。

右厳刑判決の理論的根拠には重大な誤りがある。

一、まず「悪質な事犯に執行猶予を付すことは、犯罪と刑罰に関する一般社会の正義観念が損われ、法の尊厳性を危うくさせる」旨の説示について。

抽象的の理論は、そのとおりであるが、国民の法意識、法運用の実情が他の犯罪と非常に異なる脱税犯に適用するに当たって、厳刑に処すべき悪質性の基準をどこにおくかが問題である。

例えば、一方で多額の脱税が発覚しながら、起訴されず、他方少額の脱税が起訴される。まさに租税行政、租税検察の運用の実体について公正さが疑われ、社会正義を損うこと甚だしい。

始めに述べた如く、租税が国家財政運営資金調達のため納税者に対し、無償で財産の拠出を命ずるという高度に政治的で、かつ国民の権利を害すること甚だしいものであり、申告納税制度をとる以上、「悪質性」の基準は単に脱税額、脱税率、動機、手段、方法等、従来の判決が基準としているものだけで足りるものではない。

「租税法自体の合理性、妥当性、租税行政及租税検察の現実、検挙起訴されたものの負担ないし被害回復の程度、状況、国民一般の納税意識、脱税状況、表裏をなす税金の使途、即ち正当かつ妥当に使われているか、これに対する納税者の権利の行使の実情なども考察の対象とすべきである。

二、前記ロ、ハ、について。

申告納税制度が「納税者の良心と良識を信用して採用されている」「納税者の自主性を重んじる制度で租税法秩序の基礎である」「脱税犯はその根幹を破壊するもの」とある。

しかし、我国において、申告納税制度は戦後のインフレfile_2.jpg進時における国の微税上の利益のために導入されたもので、国民の自主性を重んじ、納税者の良心と良識を尊重して採用されたものでなく、また民主主義とは関係はなく、これを重大視、神聖視すべきものではない。

戦後、昭和二二年、直接税を従来の賦課課税制度から申告納税制度に切替えた理由が、インフレ対策と国の財政収入の早期確保にあったことを忘れてならない。賦課課税制度では、税務当局が賦課処分をすることにより始めて納税義務者の納税義務が確定する。それにより強制徴収も可能になる。それまで納税義務者の申告は資料の提供にすぎず、納税義務は確定していないから強制徴収は出来なかった。

アメリカの制度を導入してもっぱら国の利益のための制度として生れたのが申告納税制度である。

申告納税制度とすれば、納税者が申告をした時点で納税義務がその範囲で一応確定し、強制徴収ができる。過少な申告であれば、税務当局が更正処分を行うことにより不足分を徴収すればよい。

法人税等を申告納税制度に切替えた第一の理由である。納税者の良心と良識を尊重して採用されたとか、納税者の自主性を重んずる制度であるとかは単なる建前論にすぎない。

申告納税制度となったことにより、国の更正決定権が制約されるならば、納税者の良心と良識を尊重した制度だとか、納税者の自主性を重んずる制度であろうが、申告納税制度に変ったからといって、国が正当と判断する所得金額を自由に決定する権限には何等の変化もない。

なお、申告納税制度が民主主義の基本であるかの如く言う向きがあるが、直接の関係はない。申告納税制度を採用しているのは、我国のほか、アメリカ合衆国、カナダの二ケ国があるだけであり、イギリス、フランス、西ドイツ等はいまだに賦課課税制度である。

脱税が横行すると、国家財政に困難を生ずることは、賦課課税制度にも申告納税制度にも共通の問題であって、申告納税制度に特有の問題ではない。

三、次に、「申告納税制度は他の納税者の犠牲において不当に利得することを許さず、納税者は社会一般から強い非難を受ける一方、納税者は主権者としてその使途を観視することとができるもので、これが民主主義社会では“脱税は最悪の犯罪”といわれる所以であり、民主主義のもとにおける申告納税制度の構造である」旨の説示について。

1、申告納税制度は不当利得を許さないとの点について。

脱税が悪であることは当然であり、賦課課税制度であれ申告納税制度であれ変りはない。賦課課税制度のもとにおいても、資料提出の意味で納税者が申告書を提出する義務を負っていることは、西欧諸国においても、かっての我国においても同様である。申告納税制度だからといって脱税が悪質性を加えたと評価される理由はない。

国家予算は決まっているし、課税標準や税率等は決まっているから脱税をした者がいたとしても、他の納税者に脱税分の追加課税があるわけではない。脱税がなかったとすればそれだけ税収が増加することは当然であるが、我国の現状では剰余分は例の如くに補助金の増額など、国民不在のところで、無駄に浪費されるだけのことである。厳刑理由にとりあげるほどのものではない。

2、脱税者が社会一般から強い非難をうけるとする点について。

日経新聞の記事に、記者達が税金問題を検討した結果を座談会形式で発表したものがある。「薄れる脱税犯意識」と題し、脱税は犯罪であるという意識が非常に薄くなっていると述べている。

日常茶飯時的に税務署の調査によって脱税が発覚しても査察の対象とされたものでない限り、多額であっても納税者も税務職員も犯罪という意識はなく、ただ税務上の不正があったと考えるのみで事案を処理しているところに、租税事犯と他の犯罪とで国民の意識が根本的に異っている。

新聞記事においても、数限りなく脱税事件を報じているが、仮りに多額の事例であっても、査察官の調査でない場合は、これを告発、起訴しないことに疑問を呈したこともない非難もきかない。

「ザ・税務署」(日本経済新聞に連載、後に同社から刊行)には、重戦車と機動隊と題し、査察を重戦車にたとえ、資料調査課(国税局直税部にある)を機動隊にたとえて、微税の両輪としているが「冒頭の社長(査察をうけた社長)は二億七千万円の法人税を脱税したとして起訴され、いま公判を待つ身。一方、二七億円の申告洩れを指摘されたK氏(是川銀蔵のこと)は、罪に問われたわけではないが、修正申告を余儀なくされ膨大な所得税を支払った」旨記載(同書三九頁以下)するのみで、右K氏を告発、起訴しないことの非難は少しもない。脱税を厳重に処罰せよとの主張も新聞に時々掲載されるが、「ザ・税務署」にも記述のとおり、国民一般にひろく脱税が行われ、サラリーマンであれ、裁判所、検察庁など特殊な官庁、部署を除いては、なんらかの別口収入(同書四三頁以下、なお記事は事の一端にすぎぬ)がある現状では、ごく一部の国民しか、その主張をする資格はないし、それらの人達の多くも機会さえあれば脱税者の仲間に容易に入るのが我国の国民性なのである。

脱税者が社会一般から強い非難を受けるというのは、アメリカ合衆国のように、そもそも国家の形成がメイフラワー号に乗って入植した人達の契約書の作成から始まった歴史をもち、国民及び議会が内国歳入庁の納税背番号制度を受入れるなど納税に協力する一方、国も税率その他で義務を無理なく履行できる税制をとり、かつ調査を充実して脱税ができないようにしている国家の国民において言えることであって、国民の納税意識も国の施策も全く異なり、脱税が一般に行われ、国民の犯罪意識が薄れている我国で言えることではない。

3、納税者が主権者としてその使途を監視できるとする点。

制度上は正にそのとおりである。

しかし、我国の現状は、納税者が租税法の立法及び税金の使途について関心の程度が薄く、国会での租税法案の審議は通常形式的で、審議内容も一般国民には容易に知ることができない。(昭和六一年における売上税騒動は全く異例のことである。)

税金の使途も、有力者の地盤である特定地域に対する集中支出や、選挙地盤培養のための特定の職域者(農林水産等は特に顕著)のための補助金などに浪費されても、一般国民はこれを是正する有効な手段を持たないことは公知の事実である。

欧米諸国において脱税者に対する社会的非難は高いが、他方、納税者の使途などに対する監視の眼が厳しいものであり、我国とまったく対照的である(福田幸弘著 税制改革の視点。二〇〇、二〇一、二四〇、三四七頁)

例えば、他国に比べ国防費がはるかに低く、社会保障費も今だ高額といえない我国において、国債を発行せざるを得ず、そり利息返済のために更に国債を発行するという財政窮迫状態に追いこんだ元凶は、地方交付税と補助金であるという。他に政治路線を横行させた元“国有鉄道”しかりである。

地方交付税は、地方公共団体を甘やかして不当濫費の原因となり、補助金は中央省庁が地方自治体を統制、支配し、或は退職高級官僚の国会議員進出のさいの票集めの武器となり、利権となっている。(評論家、山本七平、御時世の研究二〇八~二一三頁)

今日の財政危機は、国会議員の党利党略、地盤培養、これにたかる利益団体の私利私欲、加えて各省庁が、自からの省庁所管の法案成立、予算獲得、権限拡大等を図るために、国会議員や利益団体の要求に容易に応じるなど悪循環の累積の結果である。伏魔殿にもたとえられるところである。

最近の税制改革論議の中で、ようやく農業等に対する過保護批判が高まり、農業に対する巨額の各種補助金を打切れば、給与所得者に対する税金は全免できるとの評価が出るようになった。

現実を無視した建前だけの空論を採用するわけにはいかない。

四、アメリカとの相違。

以上のとおり、前記判決における厳刑の理論的根拠としたものが当を得ていないことは詳述したとおりである。

ところで前記厳刑判決はその全趣旨からアメリカ法的意識が極めて濃厚であることが窺えるが、我国とは国民の法に対するの遵法精神、徴税機関の公平徹底した調査、税法特に税率が国民の守り得るものか否か等において格段の差があり、アメリカの事例を安易に参考にすることは避けるべきである。

1、国民の遵法精神。

アメリカ合衆国はメイフラワー号に乗って来た建国の始祖たちが、契約書を作成し、法への忠誠を誓約して始まった国家であり、法万能主義。国民の権利義務の意識はきわめて強い。

アメリカにあって国家も国民も、国家成立の経緯から納税について厳しい感覚をもっている。税金だけではない。その他の法律にあっても、きびしい感覚をもっている。例えば、カルテルの防止、取引上の契約の履行、取引モラルの遵守、損害賠償額(懲罰的金額が加えられて、額は天文学的である)、など二、三の例を並べても明確である。

政治家に対する各種の規制も極めて厳格である。田中角栄が収賄罪で起訴され有罪判決の言渡しがあっても、最高点で国会議員に当選する我国とは思考が基本的に異なる。

我国において脱税が一般的に行われ、国民一般の脱税に対する罪の意識が薄いことなどは、前記「ザ・税務署」その他の著書、報道によって明らかなとおりで、アメリカとは比較にならないほどの隔絶さである。

脱税について卑近な例をあげるときりがない。架空名義或は数銀行数支店にまたがる限度をこえたマル優の利用、銀行が集金集めの手段にさえしている。パート収入の申告許容額をこえる収入の無申告の一般化。大学医学部研究員の各病院でのアルバイト料。医師への患者からの礼金。各種作成書類の印紙税法違反。などなど。

申告書にも欧米との差異がみられる。

我国においては申告書提出の際、納税者の署名押印のみが要求される。

アメリカ、賦課課税制度のイギリス等において、申告書には、「私の知る限りにおいて、また私の信ずる限りにおいて、これらが真実、公正かつ完全であることを宣誓します。」旨の記載部分に納税者のサインが義務づけられている。(前掲、福田、二八四、二八五、三二七頁)

2、所得調査の充実度。

アメリカの徴税機関である国内歳入庁(我国の国税庁に相当)の権限は強く、その行使は一般的、広範囲に、公平かつ非常に厳格である。

例えば、我国で一時計画した国民の納税背番号はプライバシーを侵害するとして退けられたが、アメリカでは国民の権利意識、プライバシーの保護意識が強固であるにもかかわらず、国内歳入庁は国民の納税背番号をあらゆる取引に表示することを強制し、国民もこれを受忍している。このように調査が充実していると脱税も殆んど行なわれず、しかも所得に対する累進税率も低い。したがって脱税者に対する厳格な処罰も容認される。

我国では、シャープ勧告で調査の充実が公正な租税行政上必要であると要請されているにもかかわらず、国税庁の調査は十分に行われないから脱税が一般的となっている上に、査察調査は一罰百戒的で公平に行われているわけではない。かつ査察を相当とする脱税が発見しても、査察しないこともある我国とアメリカとは根本的に事情を異にしている。

その背景事情を考慮することなく、単純にアメリカ的思考を借用することは著しく妥当性を欠く。

第五、その他の厳刑判決の理由について

一、財政難。

厳刑判決の中には、財政難の折柄、脱税は違法性が高い旨判示するものがある。

財政窮迫状態へ追いこんだ元凶が、地方交付税と補助金であるなどの点は、先に「主権者としてその使途を監視できるか」について詳細述べたところである。

二、脱税率などについて。

脱税額、脱税率が多額、高率であることを悪質として厳刑理由とするものが多い。

脱税が「横行」していることは各種の報道などを通じ或は確定申告期前の税務当局が相ついで発表する脱税調査実績などで明白である。(前記「ザ・税務署」参照)

ところで、アメリカのように税務当局の調査が広く正確に充実して執行されると共に、査察及び租税検察が公平に行なわれて脱税者が公平に処罰されることを必要不可欠の前提条件とするものである。

我国において、査察を相当とする多額、悪質な脱税が発覚しても査察を行なわず、したがって起訴もされない事例が多々存する現状においては、同種の再犯その他特別の事情のない限り、脱税額や脱税率のみをもって厳刑理由とすることは、かえって公平の理念に著しく反するものと言わざるを得ない。

しかも査察を受けた者が、数多い脱税者の中で、雷に打たれたような不運のもと、現行税制での他国に比してはるかに高率な法人税額のその上に、懲罰的な付加金を加算徴収され、更に裁判所で懲役刑や罰金刑に処せられる。かえって不公平感をいだかせる由縁である。

第六、脱税犯の量刑に当って考慮すべき特別の事情

脱税犯の量刑について、脱税額の多寡、脱税率、脱税の手口の悪質性の程度、同種前科前歴の有無などが一般的な基準として考慮される。一応尤もである。

しかし、それは、査察官の調査を受けた納税者と、査察官以外の税務職員の調査を受けたにとどまる納税者との間に、国税当局に把握される所得金額に大差がないこと及び、脱税が発覚した場合の当局の処分が公平であることを当然の前提としている筈である。

この前提がくずれるならば、多数脱税者の中で査察を受けた者のみが重税を課せられ、且つ処罰されるという不公平が生ずるからである。

ところが、現実には右の不公平は厳然とした事実として存在する。

一、査察を受けた者と、それ以外の者との税負担について。

査察を受けた納税者の税負担は、その他の納税者に比較して極端に重く、実質的に大きな処罰を受けたも同様である。

国税局の査察を受けた場合、まず、会社、自宅をとわず徹底的な家宅捜索などにより、資料、財産等が十分に収集され、かつ調査期間に制約はなく、国税当局の見込みに反する供述をすれば検査官によって身柄を拘束して調査、捜査を行うことが実務の現状であるところから、所得をあますところなく調査され、厳格な法適用のもとに、本税はもとより重加算税、延滞税等も徴収される。

一方、査察以外の調査を受けたに止まる納税者(これが殆んどである)は、任意調査である上、調査担当者は調査時間に制約があるところから十分な調査を受けず、脱税をつかまれても、ごく一部で済んでいるのが実状である。

査察をうけ起訴された被告人の実際所得額と、それまで税務署の調査を受けて認定されていた所得額とに格段の差があることは、裁判所において、この種事犯の審理を通じ明らかであると考へる。

ところで、査察をうけた者は、昭和六〇年度の脱税白書において、計二五五件にすぎず、全納税者から言えば砂漠の一粒の砂ほどのものであり、税界では「査察雷」という言葉があるほどである。

同業種で同じ規模で同程度の利益をあげていると推認されるのに、その内ごく一部のみが査察をうけているにすぎないこと、多額の脱税事例が報道されても査察をしないことが多いなどから分るとおり、査察官の手不足その他の事情で査察をうけず、一般に税務署に通用する所得額で納税を済ましているのが殆んどである。

極くかぎられた一部にだけ高額の課税がなされた上、刑事処分まで受けるという事実は量刑に当り十分考慮すべきところである。

二、国の税務行政は公正を欠き、ひいては租税検察、司法もその影響下にあることについて。

国税の税務調査を担当する職員、租税検察を担当する検察庁の職員、ともに極めて不足している。

税務調査の担当は、まず普通の調査は各税務署及び国税局調査部によって行われる。大口納税者或いは相当規模の脱税があるのではないかと疑われる納税者の一部については国税局資料調査課或いは調査部内の担当課によって特別の調査が行われる。(強制調査ではないが、事実上それに近い調査が行われることが多い)担当規模の脱税の嫌疑濃厚な納税者の一部について査察官による強制調査が行われる。(以上の区別は一般的であって実際上は入りくんでいる。)

税務職員は一般的に不足しており、一般の納税者については、数年に一度の調査が行われるにすぎず、査察の対象となる納税者は極めて少数である。

検察庁も、職員の絶対数が少ないうえ、租税について専門的かつ実務的知識をもつ職員はまれであるといわれており、検察庁単独で脱税犯の検挙をすることはまず出来ないので、査察官との共同捜査となるのがほとんどである。

いづれにしても、多額の脱税が判明しても、納税者に修正申告をさせるだけで査察の対象とせず、検察官への告発もされず、従って起訴しないから裁判所の裁判を受けない事例も相当あるのである。税務当局には守秘義務があるという理由で、右の如き多額の脱税事犯でありながら起訴もされないままになっている事案は外部に洩れ難い。

厳重な守秘義務の壁から洩れて報道された事例を数例、あげる。

読売新聞昭和五九年八月二七日朝刊。「タイトー」の約五〇億円の所得及び留保金約六〇億円の法人税不正過少申告。(なお同社は五四年にも約九億円の申告洩れがあった旨報道されている。)

日本経済新聞六〇年一〇月一日朝刊。「コモドール・ジャパン」の約二五億円の法人税過少申告。

朝日新聞五八年五月二日夕刊。是川銀蔵氏の約二八億円の所有税不正過少申告。

サンケイ新聞五九年二月五日朝刊。サラ金業者の約一六億円の所得税不正過少申告などがある。

いづれもはっきりとした脱税事件であって、査察の対象とすべきである。又、東京地裁昭和六〇年三月二二日判決のあった誠備事件加藤暠にかかる所得税法違反事件では、判決において政財、官界の顧客グループに脱税容疑のあることをほのめかしている(判例時報一一六一号)

サンケイ新聞六一年五月二〇日夕刊、武蔵野学院理事長がリベートなど約三億四千万円の所得隠しがあったが、告発、起訴されることなく税金の追徴などで終っている。

読売新聞六二年八月三一日、興人は約三〇億余円の脱税をしていて、更正処分を受けたということである。

右のほかに、脱税当局が査察をしたがらないものに、政界、財界大手、官界などがある。その詳細は日常の報道などを通じて裁判所に顕著な事実である。

右の事例などから、国税当局が査察事犯として処理するか、その他の調査事案として処理するかは、全くその胸三寸にあるの感である。このいわば恣意的処理に基く不公正が最終的には、司法の段階に及び、その不公正さが裁判の名において追認認定されるのである。

このような処理は、刑法犯或いは行政犯には類例をみない、脱税犯の処分に固有の不公正さである。

「ここで一つ重要なことは租税公正(公平)主義というのがあるわけである。租税法律主義は、租税公正主義と一体となっているということをやはり考へなければならない。であるから租税法律主義であると同時に、その租税が税制面、執行面で正しくなければならないという実体的な公正が重要であって、租税公正主義が租税法律主義と一体になって課税の原則となるわけで、これが租税正義ということになる。……申告納税といえども公正でなければそれは憲法上の基本を欠くということになる。(福田幸弘、元国税庁長官。前提二七六、二七七頁)

裁判所はこれら税務行政の実現の姿を直視して戴きたい。

第七、被告人、国有の情状

一、脱税額など。

三期分の脱税額は六三七〇万九、四〇〇円、脱税率は高く、この点は誠に申訳ない次第であり、被告人の深く恥じ、お詫びするところであります。

二、罰金刑の額は特に苛酷と考へます。

1、脱税額は査察事犯としては、極めて少額の部類に属します。

農家出の被告人のナワ、ムシロから始めた長い事業歴のうち、シャープ下請の液晶ガラスの好況はいっときの夢であり、査察時には既に規模を半減して、脱税で保管した資金を流用する状況でした。

動機は、長年資金ぐりに奔走、翻弄された労苦を思い、将来の競争激化、不況にそなえての裏金の蓄積です。辛苦をくぐりぬけて来た経済人として資金的な余裕は切実な願望でした。

又、毎期決算書をシャープに提出するなど下請経理の内容開示を義務づけられているところから、多くの収益の計上は下請単価の切下げに直結する。

脱税の方法は単純、稚拙です。

2、査察にあたって、被告人は地元の納税協会常務理事として、自らも永年納税に率先協力して来ただけに、出来心とはいえ、深く恥じ、悔みました。一切を争わずに、一刻も早く調査を終らせ、脱税額の支払いをすませたい。

過去数回、心筋梗塞の発作があり、査察による精神的な衝撃なども含めて、右脱税の罪を受け、その精算を機に企業の第一線を引く心境になった。

脱税分の使途については、記録上は大部分が被告人の個人的な用途に使用された如くなっているが、最近の新聞記事にもあるとおり、法人の交際費、一つをとってみても膨大な支出が報じられている。被告人は自己をなげ出し、家庭をかえりみず、企業経営に専念した経歴をもち、自負があります。

シャープの液晶ガラス下請にしても同業四社のうち、昭和五三年研修、見習いのうえ、五四年から操業開始。最後発、最末尾で出発したが、昭和五八、九年頃はシャープ下請の四〇%を製造するトップに位置した。中小企業ではあるが、当時、自信にみちた企業人であり、更に会社の発展を企図したものである。

脱税分の大部分が、妻に宝石代に或いは新築費用に使用されるはずがない。企業面での使用はかならずしも領収書その他で立証され難いが、それにしても被告人は一切を争わず、強引ともいえる査察に順応して記録上個人費消を認めて行ったものである。

3、計算が明確になり次第順次、加算税等を含めて納税し、法人税関係計九、八四五万二八〇〇円、地方税関係計四、二二四万九三七〇円合計一億四〇七〇万二、一七〇円の支払をおえた。

その使途が、個人費消とされたため、査察にさいして、金一億三八〇〇余万円が被告法人から被告人個人に対する貸付金として認定された。被告人は個人所有不動産を処分して会社に返済した。(税理士内藤行雄作成の上申書など)。

会社は、経済界の実情から、二度とこの種事件をおこす余裕は全くない。

4、求刑と同額の判決。

被告法人に対する求刑は罰金二〇〇〇万円である。

判決は、罰金二〇〇〇万円に処するとの主文である。

求刑は原告官としての検察官の意見にすぎず、裁判官は、独自の判断から、罰金の額をきめればよい。結果的にその額が求刑通りであり求刑を上廻ろうと本来、関係がないことであるとの原審裁判官の考へであろうか。

しかし、司法にも自づから常識があり慣行がある。しかも、求刑は、退官した大阪高等検察庁元検事長の発言以来、数年来、極めてきびしいものとされている。

その求刑と同額の罰金であるということは、常識的には、当該起訴事実について、情状面その他厳刑に処すべき特段の事情のある場合に限るというべきである。

弁護人は判決主文をきき、一瞬、一、二〇〇万円の読み違いかと思ったほどである。

一般に脱税査察事犯は、本人にとって俗な言葉で踏んだり蹴ったりだと言われる。自業自得とあきらめるほかはない。しかし、本件は更に裁判所によって追い討をかけられ、止めを刺された感がする。

被告人も、相当額の罰金は覚悟もし、即時、罰金をおさめて、社会に謝罪する心算でした。

第八、結び

以上、詳述したとおり、諸般の事情をご勘案戴き、原判決の量刑は、極めて不当なものであるから、これを破棄し、更に御寛大な適正な裁判を求めるため、本件控訴に及んだ次第です。

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